広島県三次市中村憲吉記念文芸館 ホームページ
中村憲吉記念文芸館ご案内(クリックしてご覧ください)
令和5年6月30日
強い雨模様でしたが、14時に布野小3.4年の児童15名が郷土の歌人憲吉学習のため中村憲吉記念文芸館にやって来ました。約1時間20分かけてアピールポイントを発見するなど、秋の長江小訪問に向けて取り組みました。児童たちには大きくなっても、この学習を忘れないで次世代に継承して欲しいと思います
令和4年11月11日
布野村生まれた歌人 中村憲吉は、尾道市で亡くなっています。昭和56年に布野村と尾道市は憲吉を縁に文化交流を始め、現在も布野小学校と尾道長江小学校の児童交流が続いています。今日11月11日は長江小4年生30名が布野にやって来ました。迎えた布野小4年生12名が憲吉文芸館や小原屋橋、憲吉墓地を案内しました。その後道の駅ゆめランド布野やフルーツランド布野でリンゴ狩りなどを楽しみながら交流しました。来年は布野小児童が長江小学校を訪ねる予定です。
令和4年9月3日(土)
7月25日(月)
「中村憲吉研究會」
この木製看板(長さ1m幅20cm)を、大井昭雄さんから中村憲吉記念文芸館へご寄付いただきました。大井昭雄さんは、会長大井静雄氏のお孫さんで、以前同氏のご母堂様から三次高校憲吉歌碑のレプリカをご寄付いただいております。
研究會は昭和24年10月に結成され、會は三次「くれなゐ社」に置かれ、会長は大井静雄氏でした。発起人は次の通りです。
双三郡布野村長 有馬 四郎
元双三郡三次町長(中学同期生) 金井英一郎
広島県立三次高等学校長 星埜 一男
広島県教育委員会指導主事 森岡 正美
十日市町公安委員長(中学同期生)吉中 永建
事務は静雄氏令息の大井三郎、佐々木本晃、清原正人、山廣實美の各氏でした。会は中村邸を含む三次市内で開かれました。静雄氏は憲吉歌碑や倉田百三文学碑を建立するなど、「中村憲吉研究」を執筆されましたが、発表間もない昭和31年1月3日に急性心臓病で突然永眠されました。69歳でした。
【写真は研究會看板、右側が大井昭雄さんで左側が升井】
看板は後日、中村憲吉記念文芸館へ展示予定です。
令和4年4月30日
中村憲吉 没後88年遺墨展 開催中です。
中国新聞県北版に開催記事が掲載されました。
令和4年4月24日
今年、令和4年は憲吉が亡くなって88年です。療養先である尾道市千光寺公園内の仮寓で亡くなったのは5月5日でした。
4,5月のゴールデンウィークに「中村憲吉没後88年遺墨展」を下記の通り開催します。入場無料です。
期間 4月29日(金)~5月5日(木) 10:00~16:00
会場 道の駅ゆめランド布野 林産館
令和3年12月25日
先日文芸館の大門に、ささやかな門松飾りを取り付けましたが、今日は新年を迎える準備としてお祝い紙を貼り付けました。
天がしたに国歩をたもつ時あやふし四方をいましめて年明けむとす 憲吉
この歌は昭和8年の年明けに憲吉詠ですが、当時は経済危機などから戦争へと踏み出す危うさを詠んだように受け取ることが出来ます。
憲吉没後88年を迎える令和4年、新型コロナ第6波や、対外政策、危うい年明けにならないように祈ります。
令和3年12月16日
令和3年11月24日
午前中小雨の天気にもかかわらず、布野小4年生6名が中村憲吉記念文芸館にやって来ました。週末に憲吉の縁で交流が始まった尾道の長江小訪問のお土産に「タラヨウの葉」を採取するためです。みんなで協力して100枚余り採取できました。タラヨウの葉裏には堅いもので傷つけるようにして文字を書くことが出来、別名「手紙の樹」とも呼ばれる常緑樹です。しっかり抱えて学校へと帰って行きました。
令和3年6月29日
布野小学校4年生の児童6人が担任の大槻先生と文芸館にやって来ました。
今日は今年度2回目の「憲吉学習」です。
前回学んだことを元に中村憲吉について、家族のことや文芸館のことなどを調べたそうです。
客殿の大広間をはじめ二階に上がって確かめたり、良く分からなかったことを尋ねてくれました。
これまでに学習したことを「壁新聞」にまとめ、秋に予定されている尾道長江小学校訪問時に発表する予定だそうです。
令和3年6月24日
三次観光まちづくり機構さまの案内webに、中村憲吉記念文芸館を掲載していただきました。
URLは 三次市観光 Walk @round Miyoshi(みよし観光まちづくり機構公式ウェブサイト)|広島県三次市 (miyoshi-dmo.jp)
憲吉の父「中村修一」氏の肖像画を展示
3月末に憲吉の姪濱本房代様から、祖父に当たる中村修一氏の肖像画をご寄贈いただき、生前生活されていた茶の間に展示しました。
この肖像画は濱本様の父である中村達吾氏(憲吉の弟)が所蔵されていたもので、濱本様が引き継いでおられたものです。
濱本様によると、達吾氏が友人に描いてもらわれたそうですが、肉親の肖像画のため友人に依頼されたのでしょう。達吾氏も画家であり、その作品は布野小学校に寄贈されたものが今も残っています。
令和3年3月31日
今日中村憲吉記念文芸館に行くと、カタクリの花が満開でした。例年なら4月中旬以降に咲くのですが、ビックリです。少し花の数が少なくなって80輪ほどでした。
令和3年3月3日 布野中生徒、布野小児童のボランティア活動で地域貢献
3月3日、布野中学校生徒と布野小学校児童の皆さんが、中村憲吉記念文芸館と三次市立布野図書館へボランティア清掃に訪れました。両館の窓ガラスやエアコンなど、脚立を使って高所まで清掃してくれました。布野中では毎年この活動を継続し、地域へ貢献してくれます。おかげで綺麗になりました。有難うございます。
令和2年12月1日
布野小中短歌交流会
新型コロナ感染症対策のため、会場は布野生涯学習センターホールでした。
第一部は布野小学校4年生と、布野通学校全学年で、グループ別に色彩テーマで短歌を創作発表しました。
第2部は中学生の優秀作品発表でした。日ごろから取り組んでいる成果が見られる作品は素晴らしい出来でした。
令和2年10月15日
長江小と布野小の憲吉交流が40年目を迎えました。
今年は新型コロナの蔓延から危ぶまれていた交流会でしたが、両校の判断で実行されることになりました。憲吉の生まれた布野村と亡くなった尾道市の交流が始まってから40年目です。長江小4年生25名が来訪し、布野小体育館でお迎えのセレモニー。
その後布野小4年生11名が憲吉文芸館や憲吉墓地、小原屋橋を案内し、エピソードなどを交えて紹介しました。
そしてフルーツランドふのを訪ねてリンゴ狩りを楽しんだ後、食事と交流ですっかり打ち解けた児童たちです。来年は布野小4年生が尾道を訪ねることになる予定です。
令和2年10月8日(木)
文学全集96巻の寄贈を受けました。
寄贈してくださったのは奈良県の安田滋様で、母親の安田清子さまが愛蔵されていた全集です。
清子さまは中村憲吉の従妹の二女で、布野の中村家に何度かお出でになった他、憲吉が大阪在住の頃は家族ぐるみで親しくお付き合いされていたと伺いました。
以前にも憲吉直筆の掛け軸を寄贈してくださり、今回は全集を保存展示するためのガラス扉付き本棚もいただき、大変感謝しております。
開館しております
新型コロナ感染症の防止のため閉館していましたが、自粛解除に伴い開館しました。
このところ三次市内で感染者は新たに出ていないようですが、コロナが消滅したわけではないようです。手洗いやうがい、マスク着用をお願いします。
なお、毎週月曜日は休館です。
案内を希望される方は、事前に布野町まちづくり連合会(0824-54-2119)へご連絡ください。
令和2年5月20日
令和2年5月5日
今日は86年前に尾道の仮寓で46年の生涯を閉じた、中村憲吉の命日です。
葬儀は故郷布野村で5月8日に執り行われました。
当文芸館は新型コロナ感染防止に為、引き続き5月31日まで休館させていただきます。
お断り
誠に申し訳ございませんが、
新型コロナウイルス感染防止のため、令和2年5月6日まで休館させていただきます。
1日も早いコロナウイルス感染症の終息を願っております。
中村憲吉記念文芸館
令和2年3月31日 おのみち文学の館 閉館
20年あまり前に開設され、地域にゆかりのある文学者の功績を伝えてきた尾道市の展示施設「文学記念室」が、入館者数の低迷などを受けて30日、閉館しました。
尾道市の展示施設「文学記念室」は、千光寺山の中腹の古民家を活用し、21年前の1999年3月に開館しました。
高等女学校時代を尾道市で過ごした小説家、林芙美子の書斎を復元し、遺品を展示するなど、地域にゆかりのある文学者の功績を伝えてきました。
しかし、長く来館者数が伸び悩む一方、維持管理にかかるコストが負担になってきているとして、市は、今年度で運営をとりやめることを決め30日、閉館となりました。
閉館日の30日は、文学ファンらが訪れ、尾道ゆかりの文人たちの歩みをしのんでいました。
広島市から訪れた49歳の女性は「多くの文学作品を生み出したまちだと思うと感慨深いです。きょうが最後なので、目に焼き付けて帰ります」と話していました。
施設の管理を担当しているスタッフのひとり、松宮豊さんは「文学のまちを標ぼうしているのであれば、存続してほしかったと思います。非常に残念です」と話していました。
令和元年12月20日
文芸館大門前と勝手口に、ささやかですが門松飾りました。
令和元年9月5日
布野まちづくり連合会の広報(FMR9月号HRに載せる記事です。
憲吉 秋を詠む
厳しく暑い夏の余韻が消え去らぬまま秋を迎えるようです。9月といえばこのころでは稲刈りも終わっている農家が多くなりました。昭和の中頃までの稲刈りはおよそ10月頃だったように記憶しています。
大正元年9月、憲吉は東京帝国大学に学んでいる時期でしたが、秋に布野へ帰郷したのでしょうか「稲の月夜」と題して5首の短歌を詠んでいます。
ふとある夜月に起き出でて山腹のくらき木の間をあゆみて居たり
月よみのいきの触りのやはらかき麓の村は熟睡せりけり
ひとり行くこの月の夜に見えくるはみな吾が知れるひとの家かも
稲のつゆに濡れつつ歩む夜のはだへ座ろにひとに寄りたくなりぬ
道々のつゆこる草になく蟲に聞きあまえつつ行くこころかな
令和元年8月10日
布野まちづくり連合会の広報(FMR)8月号HRに載せる記事です。
盂蘭盆と赤あきつ
気がつけば盂蘭盆の季節、昔から安芸門徒の紙燈籠は有名で、墓地には多くの燈籠が供えられます。新仏に供される白い燈籠がひと際目を引きます。昭和4年に東京から布野村に帰ってきた憲吉は家務に励むとともに、歌人としても佳境に入っており多くの短歌を詠んでいます。久々に中村家墓地に赴いた憲吉は盆燈籠に目をやりながら、そこから見える稲田と群れ飛ぶ赤蜻蛉に改めて布野を感じたようです。
盂蘭盆にして燈籠の灯をみなもてり古きあたらしき我が家の墓
稲田やや穂孕むがうへに赤あきつ翔きらめき生れてぞとぶ
盂蘭盆(ぼん)
赤あきつ:赤とんぼ
翔(つばさ)
宿驛路(うまやぢ)
往来へる(ゆきかえる)
蜻蛉(とんぼ)
その昔、憲吉も愛でた三次の風物詩「三次の鵜飼」がおすすめです。
令和元年6月28日
遅い梅雨入りから3日目、昨日は1日中雨でした。日本列島南岸を東に向かう熱低は台風3号となりました。
これから梅雨のシーズン、去年のような土砂災害が起きませんように。
例年、夏至(6月21日頃)から数えて11日目の7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間を半夏生といいます。田植えは半夏生に入る前に終わらせるものとされ、この頃から梅雨が明けます。憲吉が生存中の昭和初期までは半夏と言えば田植えの終わったあと布野村でも赤名でも牛市が開かれていました。牛市は中村家墓地のすぐ下の広場が会場で、牛の売り買いに多くの「馬喰(ばくろう)」と呼ばれる仲買人が訪れ、胴巻きから溢れるほどの札束で飲み食いし、それはそれは賑やかに催されておりました。
その頃の様子を詠んだ憲吉の短歌を紹介します。
田植過ぎてなおさみだるれ隣国の半夏の市へ牛のぼるころ
山かひのさみだれに濡れて旅をする市行牛は蓑をつけたり
平成31年4月23日
昭和8年の暮れに中村憲吉は病気療養のため尾道に向かいました。雪降る布野を発ち千光寺山の仮寓に着いて、
ふるさとの雪ふる峡を出てくれば世の國はぬくし冬日照らせる
と詠んでいます。それから4か月余の5月5日に、療養の甲斐なく息を引き取りました。46歳でした。葬儀は故郷布野の中村家客殿で執り行われ、斎藤茂吉が弔辞を述べています。葬儀が行われた客殿は憲吉が歌友を招くために昭和5年に増築したものです。
当時の写真をご覧ください。
平成31年4月1日
“憲吉ひのき” を育んだ “布野の里”
三次市布野町は、島根県境に隣接し、総面積8,304ヘクタール、その内山林が7,465ヘクタールで約90%を占めています。古くから農林業に生計を求める地域で、明治、大正から昭和初期にかけては特に薪炭と砂鉄を活用した製鉄が盛んで、我が国最初の国営製鉄研究施設である「廣島鉱山落合作業所本所」が設置運営されました。
郷土の歌人中村憲吉は明治22年(1889)三次郡上布野村(現三次市布野町上布野)で生まれています。 明治40年頃の中村家は田畑50町歩、山林550町歩を所有する広島県北でも屈指の大地主でした。
憲吉は斎藤茂吉や土屋文明らと近代短歌の確立に尽力した歌人ですが、中村家の当主になると広大な山林に目を向け、檜、杉の植林に取り組みました。この事業では、山林に赴き植林の指揮を執るとともに、自ら作業に携わっています。
憲吉が植林に意欲を持ったのは、植え付けた苗が将来中村家の収益を増やすことでしたが、その時には木材を切り出す人、運搬、製材、建築など多くの人が携わることになり、布野村が豊かになることも望んでおりました。
用材として役立てることが可能となった檜を皆様にご覧いただくことと、後世に伝えるため檜材の一部を加工し、次の場所に設置、展示しております。
展示モニュメントは、道の駅ゆめランド布野と中村憲吉記念文芸館に、掲示板は三次市立布野小学校と布野中学校に設置しております。
それぞれの部材は女亀山の尾根続き、赤名峠頂上付近の所有山に、 昭和4年(1929)憲吉が植林した樹齢87年余の檜材です。
平成30年3月28日
憲吉文芸館の庭に「かたくりの花」が咲き誇っています。開花した花と蕾92輪。このところ減少していて残念ですが、今見頃です。
平成30年元旦
昭和8年12月25日、憲吉は布野を発ち病気療養のため尾道に向かいました。そして千光寺への登り口にある邸にたどり着き、自動車から降りた憲吉は両脇を抱えられて坂道を登り邸に入りました。
年が明けて仮寓から見下ろす瀬戸内海はあくまでも青く、透き通るような海の色はふる里布野の雪景色とは対照的で、暖かい日差しが降り注ぐ暖かい景色にしばし時を忘れました。
早く病が癒えて帰郷したい思いが募りながら、その思いは叶えられることなく昭和9年5月5日帰らぬ人となりましたが、享年46歳はあまりにも短い人生でした。
9月6日
憲吉文芸館の子供落語教室では、これまで4名の児童が落語の稽古をしてきましたが、この度1年生の児童4名が入門しました。
早速高座に見立てた座卓の上に、先輩児童を見習って座り、感触を確かめていました。
でも「難しくて出来そうになければ止めてもいいからね」と言っております。
6月27日(火)
布野町下布野にお住まいの砂川四郎様から、砂川家に伝わる文化遺産の寄贈を受けました。
元文年間(1736年41年)の丁銀や広島藩銀札などで、家に持っておくよりも憲吉がこよなく愛した布野の文化遺産として多くの方に見ていただきたいとの思いから寄贈される気持ちになられたそうです。
憲吉文芸館では一緒に戴いた展示ケースに収納し、母屋の居間に展示しております。どうぞご覧ください。
6月14日(水)
NTTーOBのサークル月木会の皆様が、昨年に引き続き憲吉文芸館客殿で茶席を開かれました。
落ち着いた客殿のたたずまいが茶席に最適だと、参加された皆様には好評でした。
4月12日(水)
文芸館取材のため広島テレビの取材班がお出でになりました。
担当は柏村武昭さんと西名アナウンサーです。番組名は「みよし観光研究所」
文芸館の収録を終えて道の駅ゆめランド布野の「田舎バイキング料理」なども取材されました。
テレビ放映は5月16日の予定です。
3月を迎えた憲吉文芸館ですが、布野図書館玄関前の駐車場には集積された雪の塊が残っています。とはいえ新聞紙上には各地からウグイスの便りが寄せられ、春の訪れを感じる時季でもあります。まもなく憲吉生家裏庭(国道54号側)でも紅白の梅が咲き始めます。この季節昭和3年に岡山後楽園の情景をを詠んだ歌を紹介します。
枝がちて蕾ながらの梅の園白鶴を清く居らしめにけり
(昭和三年 軽雷集)
紹介する憲吉直筆の掛け軸は、中村家の親族で大阪にお住まいの安田清子様から寄贈していただいたものです。清子様は一昨年天寿を全うされ、昨年は憲吉四女の裕子様も亡くなられて憲吉を直接知る親族は居られなくなったそうです。
Kenkichi ページ
お知らせ(平成29年1月)
中村憲吉記念短歌交流会は例年5月上旬に開催してきましたが、今年29年は諸般の事情から開催時期を秋頃として検討中です。
皆様にはご不便をおかけすることになりますが、ご理解くださいますようお願いいたします。
明けましておめでとうございます
平成29年元旦
今年も中村憲吉記念文芸館 よろしくお願いします。
沢山のかたに来ていただき、笑ってもらいました。有り難うございました。
12月23日 10:30~1230
中村憲吉記念文芸館で稽古した小学生落語家たちが、布野生涯学習センターホールにおいて「浮沼亭一門 子供落語席」発表会を開催します。
12月15日(木)
今日はとても寒い日でしたが、例年のように中村憲吉記念文芸館玄関前に門松を作って飾りました。手が冷たくて結構大変でしたが出来上がると達成感はあります。
ただ今開催中です
布野にゆかりの画家浜田香織さんの展示会を開催しています。
日時 11月15日から30日 10:00~18:00
月曜日は休館です
場所 中村憲吉記念文芸館・布野図書館 学習室
問い合わせは 090-4890-5279(升井)...
憲吉文芸館で落語教室
放課後児童クラブの児童が落語を勉強しに来るようになって5年になります。今年の落語希望児童は9名で、いつも大にぎわいです。
1年生2人、2年生3人、4年生4人、早く覚えた子もゆっくりの子も楽しんでいるようです。小学校の発表会では時間の都合で一人だけの発表でしたが、12月23日には「浮沼亭一門素人落語大会」を催す計画です。その時にはみんな落語を語るよう考えています。
練習の模様を中国新聞記者に取材してもらいました。
10月19日
35回目となる文化交流会で尾道市長江小学校4年生22名が布野町にやってきました。
歌人中村憲吉が生まれた三次市布野町と、亡くなった尾道市の小学校4年生が互いに訪問しあう交流会は、今年で35回を数えます。
憲吉文芸館や、中村家の墓地、小原屋橋の親柱4本に刻まれた憲吉四季の歌を、布野証4年生の児童15名が案内し説明しました。
文芸館では憲吉が生活した家を見学し、憲吉の作歌していた場所に座るなどの体験もしました。
10月の展示会スタートしました。
展示は華やかでうっとりするような作品ばかりです。
展示会場は中村憲吉記念文芸館隣接図書館の学習室「アララギ」です。
10:00~18:00(休館日 毎週月曜日)
入場無料
10月1日(土)~22日(土)
「エーッ! と驚くアート工芸展」
布野町出身で江田島市在住の久保田明美さんの作品展です。
展示会に関する問い合わせ先 090-4890-5279(升井)
1回目の展示会終了しました。
「藤原郁子 感謝の卒寿展」にはたくさんの方がお出でくださり、有難うございました。
9月展示会のご案内。
展示会場は中村憲吉記念文芸館隣接図書館の学習室「アララギ」です。
10:00~18:00(休館日 毎週月曜日)
入場無料
9月10日(土)~25日(日)
布野に生まれて90年「藤原郁子・感謝の卒寿展」
書・絵皿・染め物など
10月、11月にも展示会を予定しており、別途ご案内します。
平成24年2月25日、開館を迎えたころの景観です。
「中村憲吉記念文芸館のホームページ」へ、ようこそおいでくださいました。
中村憲吉記念文芸館は、ここ三次市布野町出身のアララギ派歌人、中村憲吉(1889~1934年)を顕彰する施設として平成24年2月25日に開館しました。
館内は自由に見学していただけます。また、短歌会や朗読会など文芸に関する集まりにもご利用いただけます。
開館時間 10:00~18:00
(入館受付は17:00まで)
入館料 無料
休館日 毎週月曜日及び12月29日~
翌年1月3日
案内人 常駐していません。
※ 案内を必要とされる方は事前に 「布野 町まちづくり連合会」(TEL 0824-54-2119) へご連絡下さい。受付は平日の 8:30~17:00 です。案内・資料代等は、運営協力費として別途お願いしております。